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東京地方裁判所 昭和60年(行ウ)175号 判決

原告

川野斎

被告

社会保険庁長官吉原健二

被告指定代理人

石川和雄

岩井明広

本田一

塩田哲夫

佐藤敏雄

坪田忠雄

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が原告に対して昭和五八年一一月九日付けでした船員保険法の規定による障害年金及び障害手当金を支給しない旨の決定を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、昭和五八年五月二〇日、被告に対し、昭和一六年二月一日沢山汽船株式会社(以下「沢山汽船」という。)所属の第一新東丸に船員として乗船中、頭部を打撲し、このため両眼外傷性視神経萎縮障害となったとして、船員保険法による障害年金の裁定を請求した。

2  被告は、原告に対し、昭和五八年一一月九日付けで障害年金及び障害手当金を支給しない旨の決定(以下「本件処分」という。)をした。本件処分の理由は、原告の当該疾病の発病は昭和一六年二月一日であるところ、当時の船員保険法(昭和二〇年法律第二四号による改正前のもの。以下「旧法」という。)の障害手当金の支給要件は、疾病の発生した以後の被保険者の資格喪失前六年間において、船員保険の被保険期間が三年以上あることが必要である(四〇条)が、原告の場合、この支給要件を満たしていないというものであった。

3  原告は本件処分を不服として昭和五八年一二月二六日兵庫県社会保険審査官に審査請求をしたが、昭和五九年三月二七日付けで請求が棄却されたので、なおこの決定を不服として同年四月二五日社会保険審査会に再審査請求をしたが、昭和六〇年六月一一日棄却された。

4  しかしながら、被告が旧法を適用し、支給要件を欠くとしたのは違法である。とりわけ、原告が昭和一六年二月一日の事故により、症状が固定したのは昭和五〇年二月一八日又は昭和五六年四月一五日のことであり、現行の船員保険法四〇条により支給要件を満たしているものである。

5  仮に旧法が適用されたとしても、原告が被保険資格を喪失したのは沢山汽船を退職した昭和一六年一二月二五日であるが、原告は昭和一三年三月二六日から船員であったものであって、この間被保険資格を有しており、三年以上の被保険期間の要件を満たしているものである。

よって、原告は被告に対し、本件処分の取消しを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1ないし3の事実は認める。

2  同4のうち、事故の発生日が昭和一六年二月一日であることは認めるが、症状固定日は知らない。その余の主張は争う。

3  同5のうち、原告が被保険資格を喪失した日が昭和一六年一二月二五日であることは否認する。原告が船員資格を喪失した日は昭和一六年二月一日である。原告が昭和一三年三月二六日から船員であったことは知らない。その余の主張は争う。

三  被告の主張

1  障害年金及び障害手当金は、船員又は船員であった者が、被保険者であった間に発した疾病又は負傷及びこれにより発した疾病によって、法に定める障害となり、労働することができなくなったり、あるいは労働能力が制限される場合に、その生活の安定を図ることを目的とした保険給付である(船員保険法四〇条)。

ところで、原告が沢山汽船所属の第一新東丸に乗船中負傷した昭和一六年二月一日当時は、旧法が施行されており、旧法は、障害年金及び障害手当金に相当するものとして廃疾年金及び廃疾手当金の制度を設けて四〇条にその支給要件を定めていた。

すなわち、旧法四〇条は、「被保険者ノ資格喪失前六年間ニ三年以上被保険者タリシ者ノ資格喪失前ニ発シタル疾病又ハ負傷及之ニ因リ発シタル疾病ガ勅令ノ定ムル期間内ニ治癒シタル場合又ハ治癒セザルモ其ノ期間ヲ経過シタル場合ニ於テ勅令ノ定ムル程度ノ廃疾ノ状態ニ在ル者ニハ其ノ程度ニ応ジ其ノ死亡ニ至ル迄廃疾年金ヲ支給シ又ハ一時金トシテ廃疾手当金ヲ支給ス」と規定されており、旧法の廃疾年金及び廃疾手当金の支給要件は、次の〈1〉から〈3〉のすべてに該当することとされていた。

〈1〉 被保険者の資格喪失前の六年間に三年以上の被保険者期間があること。

〈2〉 被保険者の資格喪失前に発病した疾病又は負傷及び負傷により発病した疾病であること。

〈3〉 疾病等が治癒した場合及び治癒しない場合であっても、勅令で定める期間内に勅令で定める程度の廃疾の状態にあること。

そして、支給要件〈3〉の勅令で定める期間は、旧法施行令(昭和一五年勅令第六六号)二七条において規定するところであり、旧法二八条二項に規定する者(報酬年額千八百円を超える船舶職員、被保険者の資格喪失当時報酬年額が千八百円を超える船舶職員であった者)については被保険者の資格喪失から九月であり、その他の者については、療養の給付を受けることができる期間(旧法三二条一項の規定に基づく保険給付を始めた日から起算して六月)として六月であった。したがって、原告の場合は、その他の者に該当するので、六月である。

2  そこで、原告が旧法四〇条に規定する廃疾年金及び廃疾手当金の支給要件を具備しているか否かについてみることとする。

旧法は、昭和一五年勅令第六四号により、保険給付及び費用の負担に関する規定を除いて昭和一五年三月一日から施行され、保険給付及び費用の負担に関する規定は、昭和一五年勅令第三六三号により、昭和一五年六月一日から施行された。したがって、旧法四〇条に規定する被保険者期間の開始日は昭和一五年六月一日であり、仮に同日前に船員であった場合においても同様である。

ところで、原告は、被保険者資格を、沢山汽船所属の東洋丸において昭和一五年六月一日に取得した後同年七月二四日に喪失し、及び同社所属の第一新東丸において同年一〇月一〇日に取得した後昭和一六年二月一日に喪失しているから、旧法四〇条に定める支給要件を具備するか否かを判断するための資格喪失は、昭和一六年二月一日ということになる。そうすると、原告が被保険者であった期間は五・五月である(旧法二二条)。なお、昭和一五年五月三一日以前の乗船期間については、旧法の施行以前であるので被保険者期間とはならないものである。したがって、原告は、旧法四〇条に規定する廃疾年金及び廃疾手当金の支給要件である「被保険者の資格喪失前の六年間に三年以上の被保険者期間があること」に該当しないので、受給資格を有しないことになる。

3  また、原告は、現行の船員保険法四〇条に基づく支給要件を満たしており、被告が旧法四〇条に基づく支給要件を満たす被保険者期間がないとして障害年金及び障害手当金(廃疾年金及び廃疾手当金は昭和二〇年四月一日法律第二四号により障害年金及び障害手当金と名称が変更された。)を支給しない旨の処分をしたのは違法である旨を主張する。しかし、船員保険制度における障害年金及び障害手当金の支給は、保険事故が発生した時の法律をもって保険給付がなされるものである。このことは、旧法の施行後、逐次法律の改正がなされているが、その都度保険給付に関する経過措置として従前の例による旨の規定が設けられていることからも明らかである。したがって、原告の右主張もこれまた失当である。

4  以上のとおり、いずれにしても原告に対して障害年金及び障害手当金を支給しない旨の本件処分は正当であり、何ら取り消すべき理由は存しないのである。

四  被告の主張に対する原告の認否

1  被告の主張1のうち、支給要件〈3〉の「勅令で定める期間」が、旧法施行令二七条に規定されていることは知らない。その余の主張は認める。

2  同2ないし4の主張はいずれも争う。

五  原告の反論

1  船員保険法は社会保険法の一つとして、船員労働の災害につき事後救済するため、戦前に制定されたものであった。昭和一六年当時の旧法は過去数一〇回に及ぶ大・小の改正を経て、現行の船員保険法に至っているのである。その間、右保険給付の要件も変容している。

2  原告は昭和一六年二月一日に傷害を受けた。もとより、船員保険法による被保険者資格を有していた時の事故であった。以来、原告は長年にわたり療養につとめたが、一向にはかばかしくはなかった。しかし、医療水準の向上、特に眼科治療技術の向上に期待しながら、あらゆる療法を試みたのであった。

昭和二〇年までは戦時中のことでもあり、十分な療養方法をなすすべもなく、ほぼ、自家療養に終始した。そして、戦後、右治療技術も発達し、原告においても治療に専念した結果、非常に回復したが、逆に、昭和五〇年二月一八日、医師より症状固定を言い渡された。しかし、なお、原告は治療努力を重ねたが、昭和五六年四月一五日に至って、もはや、これ以上の回復は有り得ないとされ、症状固定を認めざるを得なくなった。

以上の治療経過に徴すると、本件につき、船員保険法四〇条により、原告は本件障害年金の受給資格を有するものといわねばならない。すなわち、新・旧船員保険法は制定の趣旨を同一として、改正を経ながら一体として船員労働災害の救済をはかってきたものであったからであり、たとえ、本件傷害が遠く昭和一六年のことであっても、その症状固定が昭和五〇年又は昭和五六年であってみれば、現行法の適用をみるのは当然と思料される。

そのことは同法四〇条の趣旨に照らして明らかであり、原告の場合、同条の要件に欠くところはない。

3  更に、旧法四〇条所定の被保険者資格の取得について、同法附則の規定等によると同法施行前に既に船員であった者につき、旧法適用上、相応の配慮をなしていることが窺知しうるのである。

法施行前より、原告が被保険者であったわけではないのは当然である。しかし、船員保険法は国家が船員労働を保護する目的をもって、設営する国家政策に由来する社会保障制度であり、私保険の如く「収支相等の原則」が必ずしも働くものではない。そうであるとするならば、右立法趣旨から考えて、原告につき、原告が船員資格を有した昭和一三年三月二六日以来、被保険者資格を有したものと解釈すべきである。原告の場合、単に、保険料納付期日が不足するだけのことであり、そのことによって、まさに、保護されねばならず、その保護こそを目的として立法された船員労働災害保護を否定するならば、同法の制定趣旨を没却することにならざるを得ない。保険における「収支相当(ママ)の原則」よりも「船員労働災害保護」を優先させよと言うのが旧法立法の根本理念であったと理解するならば、同法四〇条の解釈上も原告の本件保険給付受給資格が肯定されるべきである。

第三証拠

証拠関係は、本件記録中の書証目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  請求原因1ないし3の各事実は、当事者間に争いがなく、(証拠略)によると、原告は、船員であったところ、昭和一六年二月一日、職務中に船の上甲板から船底へ墜落して頭部を打撲し、両眼外傷性視神経萎縮の傷害を負ったことが認められ、右認定に反する証拠はない。

二  原告は、右事故により被った視力障害について、船員保険法の規定による障害年金及び障害手当金が支給されるべきであり、本件処分は違法であると主張するので、以下、本件処分の適法性について判断する。

1  本件事故が発生した昭和一六年二月一日当時施行されていた旧法は、昭和二〇年法律第二四号による改正後の船員保険法(以下「昭和二〇年改正法」という。)における障害年金及び障害手当金に対応するものとして、廃疾年金及び廃疾手当金の制度を設け、旧法四〇条においてその支給要件を定めていたが、これによると、被保険者の資格喪失前に発病した疾病又は負傷及びこれにより発病した疾病であること、疾病等が勅令の定める期間内に治癒した場合又は治癒しなくてもその期間を経過した場合において勅令で定める程度の廃疾の状態にあることという疾病に関する要件のほか、被保険者が資格喪失前六年間に三年以上の被保険者期間があることという受給資格要件が定められていた。

そこで、原告の右旧法による受給資格要件についてみるに、(証拠略)によると、原告が船舶に乗り組んでいた期間は、昭和一三年三月二六日から昭和一四年一一月一〇日まで、同年一二月二一日から昭和一五年七月二三日まで及び同年一〇月五日から昭和一六年二月一日までであることが認められ、右認定に反する証拠はない。そして、旧法における被保険者たる資格は、船舶に乗り組んだ日より取得し(一八条)、船舶に乗り組まなくなった日の翌日より喪失する(一九条)こととされており、また、昭和一五年勅令第三六三号により、保険給付及び費用の負担に関する規定は、昭和一五年六月一日から施行されることとされていたので、旧法四〇条の被保険者期間の開始日は昭和一五年六月一日となる。そうすると、原告は船員保険の被保険者資格を昭和一五年六月一日に取得して同年七月二四日に喪失し、また、同年一〇月五日に再びこれを取得して昭和一六年二月二日に喪失したこととなり、結局、原告の被保険者資格喪失前の被保険者期間は合計五か月半であって(旧法二二条)、旧法四〇条に規定する資格喪失前六年間に三年以上の被保険者期間があることという受給資格要件を満たさないことになるものというべきである。

したがって、原告は、旧法による限り、障害年金及び障害手当金に相当する廃疾年金及び廃疾手当金の受給資格を有しないものといわなければならない。

これに対して、原告は、昭和一三年三月二六日以来船員であったものであるところ、国家が船員労働を保護するという船員保険法の立法趣旨に照らし、原告は、右同日以降被保険者資格を有していたものと解すべきであると主張するが、しかしながら、旧法における被保険者資格に関する規定が昭和一五年六月一日から施行されたことは、前記のとおりであり、被保険者資格の期間の起算日を右施行日以前に遡らせる旨の経過規定が設けられていない以上、被保険者資格は右施行日以降起算されることになるものというべきであるから、原告の右主張は採用することができない。

2  原告は、原告の症状が固定したのは、昭和五〇年二月一八日又は昭和五六年四月一五日であるから、現行の船員保険法四〇条により障害年金等の受給要件を満たしていると主張する。

確かに、現行船員保険法四〇条は、旧法四〇条と異なり、職務外の事由による廃疾を除いて、障害年金等の受給資格につき一定の被保険者たる期間があることを要するとの要件を設けていない。そこで、旧法から現行船員保険法に至る改正の経過をみると、旧法四〇条は、前記のとおり、廃疾年金等の受給資格につき一定の被保険者たる期間があることを要するとの要件を定めていたが、昭和二〇年改正法は、この点を改正し、職務外の事由による廃疾の場合を除いて、障害年金等の受給資格について一定の被保険者たる期間があることを要するとの要件を削除して、廃疾の原因となった疾病又は負傷が被保険者であったときに生じたものであれば足りるものとし、その後の四〇条の改正においてもこの点に関する改正はなく、右の点に関する限り、現行船員保険法は昭和二〇年改正法と同じであることが認められる。そうすると、仮に原告に右昭和二〇年改正法四〇条が適用されるとすれば、原告は、本件負傷当時被保険者であったから、障害年金等の受給資格要件を満たすことになる。しかしながら、右改正法は、昭和二〇年四月一日に施行されたものであるところ、一般に、法令は、その施行により施行の日から将来に向って法規範としての効力を生ずるものであるから、法令は、当該法令の規定を遡及適用する旨の特別の経過規定が設けられない限り、施行の日以後に生じた事象についてのみ適用されるものというべきである。そして、原告が本件において主張する負傷事故が昭和一六年二月一日に発生したものであることは、前記のとおりであり、また、昭和二〇年改正法四〇条の規定を遡及適用する旨の経過規定は設けられていないのであるから、右四〇条の規定において障害年金等の受給資格要件が緩和されたとしても、同規定を原告の本件負傷に遡って適用する余地はないものというべきである。原告の主張は、採用することができない。

3  以上によれば、原告は、現行船員保険法の適用を受けるものではなく、その適用を受ける旧法によっては障害年金等を受給する資格を有しないものというべきであり、原告に対して障害年金等を支給しないとした本件処分に原告主張の違法はないといわなければならない。

三  よって、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 宍戸達徳 裁判官小磯武男は転補のため、裁判官金子順一は転官のため、いずれも署名押印することができない。裁判長裁判官 宍戸達徳)

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